SEEKING KITA – AKITA|ニューマタギイズム 〜共生の時代に揺らぐフロンティア〜【後編】

前回(今年の7月)、北秋田市がファーマーズマーケットに出店する際に行った事前取材(SEEKING KITA – AKITA|ニューマタギイズム 〜北秋田市の自然とともに暮らす人々〜【前編後編】)では、北秋田の農家さんや現存するマタギ文化に触れるなかで、自然とともに強く生きる人々が、それでもなお遠のいていく自然と関わりを断つことなく暮らしている姿が印象的だった。今回、私たちが再び収穫期を迎えた北秋田市を訪れたのは、もちろん11月に再び出店いただくための事前取材でもあったわけだが、もうひとつの理由は、北秋田市が抱える手つかずの土地。つまり耕作放棄地や遊休農地といった問題における課題解決の糸口を探るためでもあった。昨今の相次ぐ熊出没のニュースや令和の米騒動を見るにつけ、自然と人との境界(=フロンティア)が揺らぎはじめたことは顕著であり、いまこそ自然との共存を見出す北秋田の人々が保ってきた“曖昧な境界”のリデザインが必要なのではないだろうか。ファーマーズマーケットは、そこに着手するための第一歩として北秋田で暮らす人々の理想の状況にフォーカスし、改めて「ニューマタギイズム」へと目を向けた。
前編に続き、後編をお届けする。


北秋田から世界に誇れる商品を発信していく。

あきた雑穀村の熊谷良一さん(ひえの畑)

随分と背が高いですね。これは何という作物なんですか?
熊谷:これはアマランサスといいます。少し前までは穂が赤く染まってきれいだったんだけど、収穫時期だからだいぶトーンは落ち着いてしまったかな。ほかにも、あわ、ひえ、たかきびを農薬を使用せずに育てています。いまではオウム、インコなどの鳥類のエサとしても人気が高い穀物です。

どうしてまた、そのような穀物を育てることに?

熊谷:農薬を使わなくても何とかやれるだろうと選んだのが、それらだったんです。以前は秋田市でパルプなどの木材や繊維を扱う仕事をしていたんですが、30歳のころに脱サラしてからはUターンで故郷の北秋田市に戻り、小さい子どももいたもので、さて、どうするかと養鶏からはじめました。当初の平成元年(1989年)はまず、にんにく卵油を開発して売り出すことに。すると、身体をわるくしていた友人から「この卵油にいつも助けられている」という言葉をかけてもらったんです。それで今度は、比内地鶏の卵を使用したマヨネーズとして売り出したんです。

熊谷:そして平成20年(2008年)ごろから、親から引き継いだ畑もあったので、そこで雑穀を育てることにしました。ただ、ここに直接買いに来る人なんていないだろうから、まずは通販をはじめたんです。当時はまだまわりに通販をやっている人がいなかったと記憶しているので、かなり画期的だったんじゃないかな。それからは月に一度は東京へ出かけて、「比内地鶏卵のマヨネーズ」「雑穀シリアル」などを取り扱ってもらうために大型デパートを中心にまわっていきました。

熊谷:そもそも日本は先進国にもかかわらず、オーガニックの割合が低いのは何でなんだろうね。こだわり抜いてやるには体力もいるし、ほとんど神事みたいなものだけど、オーガニックってそれだけ大変ってことなんですよ。マヨネーズには比内地鶏の卵を使っているんだけど、無駄を出すこともないので、白身も余さず使用しています。マヨネーズには卵黄だけを使用するのが普通のようだけど、それだけではつくれない。きっと水か何かを足しているはずなんです。トランス脂肪酸がゼロということで人気が出たのか、いまではマカロンなどでも有名なフランス初のパティスリー、ピエール・エルメでも扱ってもらっています。とは言ってもまあ、あまり手を広げず、クオリティを維持していきたいですよね。自分がやれる範囲で、というのが自分なりのスタンスなんだと思います。1から10までやれたほうが楽しいじゃないですか。でも、どういうわけか最初につくったマヨネーズがいまでは一番自慢の商品になってしまって。どうしてそうなったか、なぜトランス脂肪酸がゼロなのか、詳しくはわかっていないんです(笑)。

 

収穫したばかりの「あわ」

熊谷:私のこだわりが伝わったなら嬉しいんだけど、どうもこの辺りだと浮いた存在になってしまってね(笑)。誰もやらないから、4〜5年前から物産展などのイベントも企画、運営したり、北秋田を盛り上げようと思っているんだけどさ。本当はみんなを連れて東京にイベント出店をしてもいいんだけど、それもひとりでやるとなると大変じゃない。だから、今回こうして青山のファーマーズマーケットに行けるというのはいい機会。人の身体は食べるものでできているんだから、食は絶対に妥協しちゃダメだよ。マーケットでは「買ってけろ!」とお客さんに話しかけながら、商品の魅力を伝えられれば、と。


裏庭を人生のフィールドに。

 

ふかさわファームの宮本昌子さん

実家の裏庭の畑に農家としての生き方を見出したのは、「かねてより農家になりたかった」とインタビューの冒頭で話してくれた、ふかさわファームの宮本さん。かつて北秋田市に根づいていた小豆やししとうを中心に、現在も多品種多品目の野菜を育てながら、地域の人々と繋がることでこの場所に相応しい農家のあり方を模索している。

宮本さんは、以前は理学療法士として働かれていたそうですが、どうして農家に?

宮本:もともと農家になりたいとは思っていたんです。ただ祖父母からは「農家は大変だからやめたほうがいい」と言われて育ったので、一度は就職しました。でも、どうしても野菜をつくりたくて、実家の裏庭の畑を祖父母から引き継いで一緒に野菜をつくってみると、夏場の売上だけでは農業一本でやっていけないことがわかったんです。じゃあ、冬場の稼ぎをつくるために加工品の製造をはじめようかと考えていたときに、偶然にも秋田県産の食材を使用して飴をつくっている方と出会ったんです。しかも、その方に北秋田市の代表として私の育てた小豆を使用いただいたことで、いろいろな工場を繋いでもらうことができました。はじめた当初は小豆飴やパウンドケーキなど、まずは材料を送って委託で発注していたのですが、1回のロット数が大きいことから売れ残った場合のダメージが心配でしたし、細々したところまで目を配ることのできる加工場がほしいと思っていたんです。それでこの春にクラウドファンディングを立ち上げ、無事に加工場をつくることができました。

 

 

 

現在、裏庭ではどのような作物を育てていらっしゃいますか?

宮本:裏庭の畑ではししとう、小豆、オクラ、ナスなどの設備投資のいらない、いまある狭い環境でもつくれる野菜を選んで育てています。小豆は北秋田の人たちもたくさんつくっていた作物だったのですが、そのまま販売しても労力に見合わない金額にしかならず、小豆農家さんたちはどんどんいなくなってしまったんですよ。でも、地元の小豆を残していきたいという想いがあったので、いまでも手作業で小豆を育てているんです。

畑というよりもファームという言葉が似合う、きれいな庭が広がっていますが、どうして多品種栽培を?

宮本:単一品種だと、うまくいかなかったときのリスクが高いですよね。今年はししとうが半分病気でやられてしまいましたし、最近は天候も不安定で単一品種に絞るのはやはり怖い。もともと祖父母が出荷用野菜のほかにも家庭用の野菜を育てていたので、農家を引き継ぐタイミングで、それらの野菜をオンラインで販売したんです。ちょうどその時期はコロナ禍の巣ごもり期間。家にいながら北秋田の野菜が注文できると意外にも売れたことで、徐々に前職との比重をずらしていきました。

宮本:ただ、徐々に状況は落ち着き、出歩くことも苦ではなくなったこともあり、オンライン以外の販路も開拓していかなくては、と地域のイベントにも積極的に参加するようになりました。そのなかでたくさんの方々と会うことができましたし、そこから商品化したケースもありました。「SISIMASU」「KUMAMASU」は、SNSで繋がった方と開発した商品になります。ししとうは関東方面にも出荷していますが地元の対面販売などではなかなか売れず、ししとうのおいしさが伝わる粒マスタードをつくったのですが、それがきっかけとなったのか、最近はししとうをつくる他の若い農家さんが増えてきたんです。マタギ文化が残る北秋田ということもあり、熊肉を使用した粒マスタードも北秋田のシリーズに加えています。

北秋田産のししとうとを味噌と合わせた粒マスタード「SISIMASU」と、熊肉と阿仁味噌を合わせた粒マスタード「KUMAMASU」

コロナ禍に思いきって仕事を辞めて、大変だったのではないでしょうか?

宮本:それが、逆に最高だったんです! 自分がやりたいことに自由に挑戦できますし、まわりから応援もしてもらえる。田舎で生活していると心が安らぐのはそうですが、農作業することでいろいろなアイデアが湧いてくるし、ここではそれをかたちにしていくことができる。なので、集中してゆっくり考えることができる環境というのも北秋田のひとつの魅力なんです。将来的には民泊のようなサービスもやっていけると思うので、移住体験などもしていただきながら、この場所を残していけたらと思っています。 


人と自然を結ぶかたち。

桶樽工房あきの佐藤秋男さん

 

時代に応じて幾度となく姿を変化させてきた「木」という素材。そんな山からの贈りものを手にとり、長年培った技術でかたちを与えてきたのは、桶樽工房あきの桶樽職人であり、伝統工芸士の佐藤さん。「天然秋田杉」という、いまや貴重な素材となってしまった木材を扱いながら製作に勤しむ日々の傍らで、彼がひとりの職人として感じている感覚や役割について聞いた。

佐藤さんは、天然秋田杉を使用した桶樽職人/伝統工芸士さんということですが、そもそも天然秋田杉というのは、どのような素材になるのでしょう?

佐藤:天然秋田杉というのは樹齢250年以上の杉で、昔はよく建材や桶樽などに使用されていたんですが、2013年以降は資源保護のため伐採禁止になったんです。なので、いま私が保管している天然秋田杉がなくなり次第終了。そのときは、私もこの仕事を辞めようと思っているんです。

えっ、そうなんですか!? ちなみに、天然秋田杉のストックはどれくらいあるのでしょうか。

佐藤:基本的にはここにあるものだけなので、原木で2、3本と、小さく割ったもの、あとはバックヤードにも自然乾燥させたものがいくつかあったかな。いまから35年ほど前の駆け出し時代の話になりますが、当時、私は大館市の桶屋さんにお世話になっていて、4年に一度、選挙があるタイミングで飛ぶように売れた酒樽をつくっては、それはもうお祭り騒ぎのような日々を送っていたんです。酒樽をつくるためには寸法を引くのですが、その際に出た天然秋田杉の端材というのは、寒い時期には暖をとるために火に焚べられていたんですよ。私はそれを見ながらもったいないと思っていてね。それで誰よりも早起きして、品質の良さそうな部分を外して隠しておいたんですよ。バックヤードにあるストックというのは、それらの端材をコツコツ集めていたものなんです。

天然秋田杉の本数が増えてくれば、また使用できる材になるのでしょうか?

佐藤:そうだと思います。ただ、同じように天然秋田杉として使用するには膨大な時間がかかってしまいますよね。いまは天然秋田杉を増やそうと、隣村の管理局も種を採取するために原木を保管しているようなんです。最近では早く育つ杉の研究も行われているとか。

天然秋田杉に触れる際、桶樽職人として感じる特徴などありますか?

佐藤:少し柔らかい素材でありながら粘りもあるので、よくしなって加工しやすいんですよ。多く植えている樹齢80〜100年ぐらいの杉というのは、ほとんどが増林杉なので、極端なことを言うとコシが弱くて折れやすいんです。あとは匂いの違いですかね。天然秋田杉って増林杉と違って、すごくいい匂いがするんですよ。

 

質感だけでなく、匂いの違いまであるんですね……。桶樽には柾目(まさめ)と板目の違いがあると思いますが、どのような使い分けをするのでしょうか?

佐藤:年輪の中心に向かって切った柾目の木材であれば空気を通しやすいので、ご飯などを入れる御櫃(おひつ)などに使い易いですし、逆に年輪の中心を横断して切った板目の木材であれば、空気を通しづらく液体が漏れにくいことから、酒樽などの酒類の保管に向いているんです。11月のファーマーズマーケットでは、マグカップサイズに切った杉材に竹のタガをかけるワークショップをするので、興味があればぜひ体験してもらいたいですね。つくり方は酒樽も味噌樽も基本的に一緒ですが、今回は1本で編むことになります。ほかにも2本で組んだ「ぐみ編み」など、編み方はさまざまです。桶の定義は、タガがかかっていることなんです。

確かに、タガの編み方によって表情もさまざまですね。工房には道具が所狭しと並んでいて、かんなの種類も豊富ですね。モノづくりには道具が欠かせないと思うのですが、当然、道具をつくる職人さんもいるわけですよね?

佐藤:そうですね。道具も貴重になってしまっていて、正直、いまつくっている人はもうほとんどいないんじゃないかな。ここに並んでいる道具も、そのほとんどが先輩たちから譲り受けたもので、もともとの自分の道具は酒樽をつくるための6種類だけでしたから。みんな職人を辞めていくなかで、「これ使って」と譲り受けていった結果、次第に増えていきました。いまではもう35年来の相棒という感じですが。

小さな木材にも対応できる、豆かんな

佐藤:かんなの種類によって砥石(といし)を削ってつくったりもしますし、「豆かんな」のような小さなものから大きなものまで、経のサイズや用途に応じて手にとる道具を使い分けています。サンドペーパーを使うと魔法のようにきれいに仕上がるのですが、木面を傷つけていることには変わりないので、かんなで仕上げたほうが水を弾いて漏れにくくなります。特に御櫃類はかんなで仕上げたりしますね。

ところで、佐藤さんはどうして伝統工芸士になられたのでしょうか?

佐藤:特別な理由はないですが、要するに、人と上手くやっていくよりも、モノを相手にしているほうが性に合っていたんでしょうね。木は文句を言わないですし(笑)。大館市の桶屋時代に酒樽をつくる技術を学んでいたときは、後継者がいないという話もありましたし、道具を買うための補助金も出た。それで何となくやってみようと思えたんです。あとは正直なところ、天然秋田杉の香りですね。小さいころから御櫃や桶は当たり前に使っていたので、いつの間にかその匂いが好きになっていたのかもしれません。ただ、伝統工芸士という言葉は35年前からあったものの、こんなにもてはやされるようになったのは、ここ最近ですよ。

佐藤:昔は木材にもっと価値があったんですよ。樽に酒を入れれば香りがつくし、口当たりもまろやかになった。ところが、いまは木材の価値が下がってしまっている。需要がなくなってしまうのは寂しいですよね。

桶樽ひとつをとっても、多くの道具や人に支えられてきたこと、そしてそこから生まれた味噌や醤油のような食文化が、いま目の前で失われようとしていることをヒシヒシと感じてしまいます。こうした伝統工芸のあり方について、古いものを残すべきか、新しい文脈をとり入れるべきか、佐藤さんはどのようにお考えですか?

佐藤:私の考えは、その両方です。古いモノは残しつつ、新しい形やデザインに挑戦していく。新たな世代の人たちにもっと興味をもって触れてもらえるような接点をつくることが大切だと思っています。最近、35歳くらいの洋太鼓をつくっている、県内に住んでいる職人志望の方が毎月ここに通ってくれていますし、秋田市内に移住してきた夫婦にも酒樽づくりを教えたりしているんです。実用性があれば技術も飛躍していくものなので、早くそこを見つけたいですよね。そうそう、いま天然秋田杉で洋風の大きな風呂桶をつくろうと思っているんです。ある程度高さがあって、なかでゆったりと座れるようなお風呂。普段小さなモノばかりつくっているので、その反動かもしれませんが(笑)、たとえそれが限られた資源だったとしても、お風呂として毎日当たり前に使われることで、その様式や匂いのようなものが、新たな世代の技術を繋ぎ留める要素になるかもしれない。いつか伝統工芸士という言葉が埋もれてしまうくらい、文化そのものが日常のなかで自然に息づく時代が迎えられるといいですよね。


共生の時代に揺らぐフロンティア

遊休農地を耕すこと、一部でも田んぼを借りてお米を育ててみること、郷土料理の味を受け継ぐこと、あるいは二拠点生活で日常的に工芸品に触れること。今回の取材を通じて北秋田で暮らす人々の理想の状況を掬うことではっきりしたのは、私たちが現地を訪れることで、この先も新たな景色を描いていけるということだ。同時代を生きる私たちが、もう一度自然と繋がっていくための態度、すなわち「ニューマタギイズム」を北秋田市を舞台に体現していくことが、これからの共生の時代を切り拓き、新たな境界(=フロンティア)を築くきっかけになるはず。「ちょっと北秋田にお米の収穫に行ってくる」と、自分が食べるお米は自分で確保することが当たり前になるかもしれない未来を見据え、まずはその第一歩として、11月のファーマーズマーケットで北秋田市の魅力に触れてもらいたい。


Info
ふかさわファーム
宮本昌子|Akiko Miyamoto

あきた雑穀村
熊谷良一|Ryoichi Kumagai

桶樽工房あきの
佐藤秋男|Akio Sato

Photos:Hinano Kimoto
Words & Edit:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)

SEEKING KITA – AKITA|ニューマタギイズム 〜共生の時代に揺らぐフロンティア〜【前編】

 


コラム