前回(今年の7月)、北秋田市がファーマーズマーケットに出店する際に行った事前取材(SEEKING KITA – AKITA|ニューマタギイズム 〜北秋田市の自然とともに暮らす人々〜【前編/後編】)では、北秋田の農家さんや現存するマタギ文化に触れるなかで、自然とともに強く生きる人々が、それでもなお遠のいていく自然と関わりを断つことなく暮らしている姿が印象的だった。今回、私たちが再び収穫期を迎えた北秋田市を訪れたのは、もちろん11月に再び出店頂くための事前取材でもあったわけだが、もうひとつの理由は、北秋田市が抱える手つかずの土地。つまり耕作放棄地や遊休農地といった問題における課題解決の糸口を探るためでもあった。昨今の相次ぐ熊出没のニュースや令和の米騒動を見るにつけ、自然と人との境界(=フロンティア)が揺らぎはじめたことは顕著であり、いまこそ自然との共存を見出す北秋田の人々が保ってきた“曖昧な境界”のリデザインが必要なのではないだろうか。ファーマーズマーケットは、そこに着手するための第一歩として北秋田で暮らす人々の理想の状況にフォーカスし、改めて「ニューマタギイズム」へと目を向けた。
まずは、その前編をお届けする。
インフォメーション
日時:2025年11月15日(土)、16日(日) 10:00〜16:00
会場:国際連合大学・前庭(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-70)
参加事業者:農事組合法人ぬかさわ/ふかさわファーム/桶樽工房あき/やましち果樹園/みんなの畑/近藤農場/あきた雑穀村
田植えシーズンの北秋田市を訪れてから早4ヶ月が経過し、今度はお米の収穫期を迎えた現地に再び降り立つと、まだ青く、どことなく頼りなかった稲は立派にその穂を伸ばし、金色に染まったフィールドが眼前に広がっていた。前回、“北秋田の自然とともに暮らす人々”として現地を訪れた際にインタビューさせていただいた農家さんたちからは、人手不足がゆえ、なおも遠のいていく自然の現状を教えていただいたわけだが、一方で見えてきた余白もあった。まずは「マタギの里」と呼ばれる阿仁地域で何代にもわたってりんご農園を営む、やましち果樹園の伊東さんのお話を聞くことで、かつての自然と人との関係性が見えてきた。

やましち果樹園の伊東郷美さん
人間と自然のグラデーションが辺境をかたちどる
阿仁の地で曽祖父の代から果樹園を営まれているとのことですが、どうしてまた“りんご”だったのでしょうか?
伊東:この阿仁という地域はマタギと切っても切り離せない場所なんです。実は、熊とりんごには関連性があって、熊の胆嚢が薬代わりとして重宝されていたんですよ。古くは奈良時代に中国から伝来したようで、漢方薬や薬がまだなかった時代に金と同じくらい高く売れたんです。それで江戸時代ごろからはマタギが全国へ販売していたようなのですが、青森に行った際にりんごの苗木を見つけ、珍しい果物があると熊の胆嚢と交換して持ち帰ってきたらしい。山を越えた先の情報は遮断されていた時代の話です。こうして、阿仁の地にりんごの樹が並ぶようになったと言います。
伊東:阿仁は炭鉱で栄えた地区で、当時の人口は1万人はいたみたいなんですが、水の行き渡る場所には田んぼをつくり稲を植え、水が行き届かない場所にりんごの苗を植えていった。すると、稲の収穫期以外でも仕事ができるようになっていったんです。
熊の胆嚢は、どのように服用していたんですか?
伊東:乾燥させて削って飲むんですが、まあ苦くてね。私の親父もよく二日酔いを治すために服用していました。

やましち果樹園で保管していた熊の胆嚢
やましち果樹園では、どのくらいの規模でりんご栽培しているのでしょう?
伊東:規模としては3ヘクタールほど。当初は苗を植えれば育つので苦労しませんでしたが、徐々に病気が出てきてしまい、全国的にいろいろな薬が研究されるようになっていったんです。ちなみにりんごは明治5年(1872年)ごろにアメリカから入ってきて、明治8年(1875年)に日本でも栽培できる土地を探すために、政府がりんごの苗を配布したんですよ。それで全国の農家さんにも行きわたるようになった。なので、りんご栽培は今年で150周年なんです。

伊東:ここでは30種類以上の品種を栽培しているのですが、品種が増えていったのは道の駅ができてから。というのは、従来の品種のままだと販売期間が短いうえに収穫期が被って作業効率がわるかったのですが、品種を増やしたことで、収穫作業の比重は軽くなり、長期にわたって持続的にりんごの販売ができるようになりました。現在は早いもので8月初旬から収穫をはじめ、遅いもので11月下旬ごろまで販売できる品種を揃えています。また、りんごの収穫期以外でも、リンゴジュースや焼きりんごの缶詰などを販売しています。

樹齢80年を超えるりんごの樹
伊東:今年はどの品種もカメムシやカラスにやられてしまい、なかには販売できないものも出てきてしまっている。さらに最近は熊が出てきているでしょう。私は20代のころから狩猟をやっていて、つい先日も4頭、一昨年なんて12頭も捕ったんですけど、電気柵を張り巡らせても、尻から潜り抜けたり、土を掘って柵を避けてみたりと、熊にも学習能力がある。常に知恵比べなんですよね。私が子どものころは、お腹が空けば山に入って木の実を採ったものでしたが、そのときに「熊が出るから危ない」なんて聞いたこともなかったですよ。熊を捕りに行くとなると、それなりに準備をして奥山へ入ったものですし、山の麓から山頂まで追い込んでいって、やっと捕獲できるかどうか。青森まで行ったほうが捕れるからと県を跨いだマタギもいたくらいで。つまり、熊は“滅多に出会えない存在”、先ほども「胆嚢」はだからこそ重宝されていたんです。この阿仁地域でも昭和50年(1975年)ごろまでは全然見ませんでしたし、当時、熊は高い山にしかいなかったので。

ということは、狩猟と農耕が共存していたということですか?
伊東:そうです。私がまだ若いころは、山に入るために営林署という、いまで言うところの森林管理署のような場所があったのですが、そこにみんな勤めながら、冬場はうさぎや熊を捕っていました。作業員が国家公務員になってからは給料も上がり、一時はこの集落も国家公務員だらけだった時代もあったくらいです。ところが、国からしてみれば毎年赤字だったので事業は廃止に。それとともに猟銃をやる人もいなくなってしまったんですね。何十人も熊を追いかけていた時代は、熊にとって人間は怖いというイメージがあったんだと思うんですけど、ここ数年までは熊は捕獲しないようにというのが続いていて、それでか、ここのところ熊による被害が散見するようになり、熊猟を再開してほしいという声が広がりはじめたんです。それもこれも、林業に携わる人が減ったこともそうですし、人が山から離れたことが原因なんでしょうね。

伊東:この辺りでは天然の秋田杉が有名で、樹齢250年を超えるような素材は、家を建てる際にもよく使われていたんですが、最近は家も洋風になり、使用する機会も減ってきているようなので、そういった様式の変化も山から遠ざかった要因だったのかもしれません。結局いま見えている山も、景色のほとんどは人工林で、天然秋田杉が自生しているのはもっと奥山なんですよ。昔は木の価値が高かったから杉の苗が売れて、山を所有することは財産だったのですが、いまはお荷物になっちゃっていますよね。山を相続するかと聞いたら、「税金かかるし、いらない」と言われてしまうんですから。

やましち果樹園自慢のりんごを使用した「りんごっこジュース」「しそおとめ」「焼きりんご」

近藤農場の近藤さん夫妻
前回の取材では、「農地を残すために手を広げつつ、現役世代以降の世代の農地離れを解決したい」と話していた米農家の近藤さん。今年7月のファーマーズマーケット出店で得た気づきもあったということで、また再びこの場所に戻ってくることを嬉しく思いつつ、田植えシーズンからは様変わりした近藤さんの田んぼへと赴いた。
金色に輝く稲穂で田んぼがびっしりですね。前回はファーマーズマーケットにご出店いただきましたが、感触はいかがでしたか?
近藤:普段は大手飲食チェーンの方々と間接的にやりとりすることが多いので、直接お米を口にしてくれる、より身近な消費者や飲食店の方々と接点がもてて、とてもいい経験になりました。お米を原料として求めるより、生産者に興味をもってくれている印象でしたね。
ファーマーズマーケットには探究心のあるお客さんが多いですからね。ただ、ファーマーズマーケットとしても北秋田の生産者さんや自然の豊かさを伝えるアウトプットの場として終わるのではなく、ファーマーズマーケットを起点にどのようなことができるかを模索していたんです。例えば、近藤さんの田んぼを数反お借りして、お米をつくるなんてことを相談できたらと思っていて。

どうしてそう思ったのかというと、自分たちでも土を触ってみることで都会の生活で忘れている感覚をとり戻すことができるのかもしれないんじゃないか、と考えていたんです。自分で育てたお米を食べることで、その土地に対する想いも募るだろうし、それが北秋田を訪れるきっかけのひとつになってくれると思うんです。さらに言うと、あきたこまちを購入したら、いくつかの農家さんが育てた同品種のお米がブレンドされているわけで。
近藤:私たちも遊休農地をできるだけ稼働させていきたい想いがありますし、東京と繋がることで新しく見えてくる景色もあるのかもしれないですよね。ぜひ、お力になれればと思います。ここでは「あきたこまち」「めんこいな」などの品種を育てていますが、やっぱりどの品種も一反という単位で育った、混じりっけのない純粋なお米の味わいを楽しめるというのは格別なので、ぜひ体験してみてほしいです。

お米の産地を一反一反の田んぼまで解像度を上げて、“シングルオリジン”としてお米を味わうことができるのは、とても豊かですね。
近藤:同じ品種でも食べ比べると田んぼによって味が異なっていたりする。そういう発見もそうですし、実際に自分で育てたお米というのは、不思議とおいしく感じるものなんです。いま米農家を企業としてある程度大規模にやっているところと、団塊の世代の方々が小規模にやっているところのふたつに分けたときに、実はその割合は半々ぐらい。ということは、その世代が引退したらお米の収量も半分になってしまう。ですから今後、私たちみたいな米農家が雇用を維持して継続的にお米を育てていくためには相応の売値価格が必要になりますし、先日の米価高騰がいい刺激になったと思っているんです。

先ほどの話につけ加えると、ファーマーズマーケットのお客さんは商品の背景まで知りたいという方が多く、その先に参加できるコミュニティがあれば、実際に行動に移すことができるかもしれない。ひとり一人のアクションは小さくとも、積み重ねが遊休農地の課題解決に繋がるかもしれないですよね。
近藤:私は農家の息子ということもあり漠然と農業大学に通ったのですが、いざ入ってみると同じような境遇の農家の息子たちがいて、その人たちの意識が高かったんですよね。そういう刺激を受けながら、都会にはない風景、遊びを楽しみながら時々都会に出るというライフスタイルもありだと思えたんです。

近藤:ファーマーズマーケットでは、お客さんと触れ合うなかで多くを経験させていただいたので、今度は逆にお客さんに北秋田を体験してもらいたいんです。きっとそういった行き来のなかでお互いまだ気づいていないようなことにも気づけるでしょうし、今後はそういった体験を増やしていきたいですよね。


農事組合法人ぬかさわの出川信久さんと畠山玲子さん
お米づくりを中心に農地拡大を目指すのは、農事組合法人ぬかさわの出川さん。驚くことに、ここ数年で耕作面積を6倍に広げたというのだが、新たな品種のお米を積極的に栽培しているというので、まずはその理由から聞いた。
農事組合法人ぬかさわさんでは、どのようなお米を育てていらっしゃるのでしょうか?
出川:主に「あきたこまち」「ゆめおばこ」などの水稲(すいとう)を中心に育てています。ほかにも東京の商社さんからオファーを頂き、興味本位でつくった品種もありますが、現在はこの土地に合った「つきあかり」「しきゆたか」「ZR1」などの品種を残し、全部で5品種のお米を育てています。収穫期が被らないにんにくなどの作物もやっていますが、私たちは遊休農地を農地にしていく活動をしているので、ある程度水がなくても育ちやすい他の作物と一緒にお米を育てています。当初は20ヘクタールほどの比較的小さな田んぼでしたが、いまでは遊休農地を含めると120ヘクタールほどまで広がりました。

春先の悪天候を乗り越えて、直播きでしっかり穂をつけた新品種「ZR1」
120ヘクタールとなると相当な広さになりますね。
出川:本当は全部水稲でやれればいいんですけど、遊休農地に関しては、大豆や蕎麦などの育てやすい作物から育てるようにしています。なかには荒れ放題のところもあって、最近は動物による被害も増えてきている。もう自然に還したほうがいいと思うことも何度もありましたが、農業人口が減ってきているので、できるだけ遊休農地化させないようにしたいというのが現状です。うちは10人ほどでやっていて、手を広げすぎると収拾がつかなくなってしまう上に、獣害とも闘いながら収穫期を終えた冬場の仕事もつくっていかなければならない。だからやることはまだまだ山積みなんです。ただ、そんななか直播きができる「しきゆたか」「ZR1」などの品種が出てきたことで、遊休農地をうまく増やせるかもしれないと思えるようになってきたんです。あとはどれだけおいしく育てられるかが課題ですね。
遊休農地を活用していくという意味でファーマーズマーケットがお手伝いできるとしたら、どのようなタイミングが望ましいですか?
出川:開墾作業には力が必要になるのでいつでもウェルカムですけど、やっぱり収穫じゃないですかね。でも、それだけだとわからない部分も多いと思うので、ぜひ田植えから体験してもらいたい。それ以外は私たちが面倒見ますので、田植えだけでも大歓迎ですよ。オーナー制にして一反ずつ貸し出すこともできますし、近くの小学校にも一反提供しているんです。この時期はお米の旨味を引き出すために稲を稲架(はさ)掛けして、ゆっくり乾燥させているところ。一反で穫れたお米のおいしさは格別ですよ。

ところで、皆さん冬場はどのように過ごされているのでしょうか?
出川:冬場はもっぱら雪かきですね。やっぱり収穫期よりも雪かきを手伝いに来てもらったほうがいいかもな(笑)。実際に農作業してみると、あっという間に時間がすぎていくんですよ。収穫したあとの田んぼって何だか寂しくてね。収穫するのがもったいないというか、もっと育てたいという気持ちになるんです。
親心というやつですね。
出川:そうそう(笑)。面積が増えれば当然刈り取る量も増えるので、収穫が遅れてしまうという懸念はあります。そういった人的要因さえクリアできれば、遊休農地はもっと農地にしていける。やっぱり困ったときに手を差し出したり、将来のことを考えるのが親ってもんですよ。広大な土地に金色の稲穂が広がる風景を都会の人たちにも見てもらいたいですね。
まずは人手が必要なタイミングからご一緒させていただき、そのなかで地域の人々との関わり合いがお米づくりからはじめられれば、自ずと関係性も築かれていくはず。食はコミュニケーションを広げてくれますからね。一緒にきりたんぽ鍋を囲めば、あっという間に仲良くなって、そのうち家庭ごとの味の違いにも気づくようになるかもしれません(笑)。
出川:そうなんですよ。私たちが子どものころは、お祭りのときにその集落の家庭料理を食べる機会があって、本当に家庭ごとにきりたんぽの味が違ったりするんですよ。その味の違いを楽しむために、いろいろな家をまわったっけ(笑)。そうやって少しずつでも北秋田のことを知ってもらえたら嬉しいですね。


みんなの畑の金田悦子さん
先日は暑いなかファーマーズマーケットのご出店お疲れさまでした。
金田:本当に暑かったですよね(笑)。でも、おかげさまで野菜は完売でしたし、多くの方に足を運んでもらえて嬉しかったです。野菜を買っていった方がおすすめの食べ方を聞いていってくれるので、素材だけではなく、レシピの需要にも気づかされました。
金田さんは自然や農業にもっと関心をもってほしいと、田んぼの生態を子どもたちに伝える「生きもの調査」というイベントを企画されていますが、遊休農地の再生にも積極的に取り組まれているとか。
金田:私たちは「農業委員会」を通じて農地の保全活動をしているんです。田んぼや畑などの農地の貸し借り、建物を建てる際の申請など、この組織が契約を結ぶ際の窓口になっています。36人いる農業委員のうち、有志で集まっている発起人は12人。私とぬかさわファームさんは、ここの有志のメンバーなんですよ。まだ使える農地でも所有者の手が行き届かなければ台無しになってしまう。でも、借りてくれる人がいれば救える農地もある。ひとたび耕作放棄地になれば、作物がつくれる状態にするまでに手間と労力がかかるので、有志で集まったメンバーで遊休農地の草や根を掘り、少しでも農地をとり戻しやすい環境をつくることを心がけています。何かしらが収穫できるように蕎麦の種を蒔くこともありますし、そこで収穫した作物を販売して得た利益は、次の活動費になっていきます。先日もサツマイモを収穫したばかりでした。
遊休農地は、現状増えているということなんですよね?
金田:そうです。どこも担い手不足ですよね。国からは地域計画を立てて田畑を大型化していけと言われるんですけど、大規模農家が年齢などの問題で辞めてしまったときに、100もある田んぼを一挙に引き受けてくれる農家さんなんているのかな、と疑問に思ってしまいます。なので、もっと個人個人で小さくても続けていけるような体制をとらないといけない。それが農地の保全に繋がるし、いつか食料危機に陥ったときにすぐに作物がつくれる状況にしておかないと、みんな倒れてしまいますよ。毎日食べても飽きないお米だけは、日本人として守っていかないといけないですよね。

遊休農地の問題もそうですが、私たち消費者も「食べる側」として距離をとってしまっている部分がありますよね。買うだけでは伝わりきらないお米の美味しさって、あるのかもしれないですし。
金田:そうですよ。北秋田に来てくれる業者の人はいるんですが、やはりお米を売ることが目的になっているので、自分でつくろうと思う人はなかなかいない。おいしいお米がどうやってできているかというプロセスは忘れ去られてしまっていますよね。なので私たちも移住、定住という話があるのであれば、自分たちがオーナーになっている田畑を喜んで貸し出しますし、必要なときに一緒に手を動かしてもらうだけでも農家の気持ちがわかると思うんです。何より、自分で育てたお米の味は忘れられないものになると思いますよ。そういった活動が一緒にできるということを基準に北秋田市に縁を繋いでくれると、ありがたいです。

次回はキッチンカー出店もされるということで、肌寒くなる季節に外できりたんぽが食べられるのが、いまから楽しみです。
金田:私たちが販売しているきりたんぽセットは、誰もがつくれるようにネギやセリなどの具材をちょうどいいサイズにカットしているんです。人によって切り方は異なりますし、それによって味も変化してしまう。東京だと、春菊や白菜と一緒に鍋で煮込んできりたんぽを食べたりするみたいですし、セリもあまり親しみのない食材のようなので、まずは本物の郷土の味を体験してもらいたくて。北秋田の味を体験していただいたら、ぜひ現地にも足を運んでもらって、今度はその風景を思い出しながら、また東京できりたんぽを食べていただけたら嬉しいです。ゆくゆくは北秋田が訪れる場所ではなく、皆さんの帰る場所になってくれたらいいなと思っています。
(Info)
やましち果樹園
伊東郷美|Satomi Itou
近藤農場
近藤裕太|Yuta Kondo
近藤淳子|Junko Kondo
農事組合法人ぬかさわ
出川信久|Nobuhisa Degawa
畠山玲子|Reiko Hatakeyama
みんなの畑
金田悦子|Etsuko Kanada
Web、Instagram
Photos:Hinano Kimoto
Words & Edit:Jun Kuramoto(WATARIGARASU)
SEEKING KITA – AKITA|ニューマタギイズム 〜共生の時代に揺らぐフロンティア〜【後編】