【Rose Festival 特別寄稿】薔薇について私が知っている二、三の事柄|写真・文 猪本典子

©︎Noriko Inomoto

「薔薇は近寄ってみると、枝のあたりがごちゃごちゃとして、ちょっとややこしそうなんだけど、それもまた風情かしら。」(勝手に現代語訳)、という感想を抱くのは『枕草子』能因本での清少納言。

枝のあたりがごちゃごちゃしてるっていうのは、棘のことを指しているんでしょう。薔薇の花を讃える文人は数多いるが、棘を含めたその姿全体を味わい深いものとして捉えるのは、いささか勝気だが細やかな観察眼を持つ清少納言ならではのこと。

『万葉集』の時代から自生種の野ばらが詠まれ、『枕草子』や『源氏物語』、『古今和歌集』などに薔薇が登場する頃には、中国から渡来した庚申薔薇(コウシンバラ)が栽培されていたそうだ。

鎌倉時代になると庚申薔薇は『春日権現験記絵』に描かれ、寝殿造りの庭内に植えられたその紅い八重咲きの花は、貴族階級に珍重されていたのでしょう。

庶民にとって薔薇が身近な植物になったのは、江戸の園芸ブームによるところが大きいはずだ。町中を行き来する植木の行商人がいて、朝顔などと一緒に薔薇の鉢植えも売られていたとか。

葛飾北斎の『黄鳥 長春』や伊藤若冲の『動植綵絵』の一幅『薔薇小禽図』、二代目歌川広重の三十六花撰 東京根津ばら』など、画題として取り上げられるほど薔薇はポピュラーな植物だった様子だ。

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古来から、美術や文学に広く浸透する薔薇という植物。楚々とした一重咲きや艶やかな八重咲き、うっとりするような甘酸っぱい香り、そして触れると痛い棘、それらは様々なシンボルとして比喩されることもしばしば。

例えば男性同性愛の雑誌『薔薇族』、いつの頃からか彼らをその雑誌名で呼称するようになったり。どうして薔薇族なのか、それは古代ギリシャで男同士が愛情を確かめ合うのは、薔薇の木の下だったという逸話に由来するのだとか。なんだか耽美的な場面が浮かんできますね。清少納言が言うところの「枝のあたりがごちゃごちゃとして」、薔薇の茂みは絶好の愛の交歓場所だったのかもしれない。

あるいは薔薇の特性から八重咲きのものは雄しべが花弁に変化するので、花粉が少なく受粉しづらいってことからなのかも。うーん、これって考えすぎか。

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「薔薇に棘あり」という故事を耳にしたことがあるでしょう。フランス語のIl n’y a pas de roses sans épines. (棘がない薔薇などない、すなわち薔薇には棘がありますよの意)の和訳だ。それが美しいものは時として人を傷つけることもある、といった例えに用いられるのを清少納言ならどう思ったかな。

そもそも薔薇の棘は、外敵から身を守るために備わっているもの。いわゆる種を保存する装備ですね。しかし蜂などの受粉を媒介する昆虫はいいとして、アブラムシなどの天敵も棘をもろともせずどんどん枝をよじ登り、葉を食い荒らしちゃったり。小さなシジミ蝶なんて、大きめの棘をちゃっかり休憩場所に使っていたりすることもある。

それでも棘があることで、種を絶やしてしまうほどの害虫の侵略は抑えられているのでしょう。そんな棘の生え方を今一度ようく観察してみれば、もうひとつの薔薇の知恵に気づくはずだ。

薔薇の棘は柑橘系などと違って、茎や枝から下向きに生えているんですよ。これは隣にある植物や壁などに下向きの棘なら絡みつきやすく、自分が倒れるのを防ぐための仕組みなんだとか。

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一本で立っているより、下向きの棘を利用しつつ他の木に寄りかかって倒木を回避する薔薇。この棘の生え方に興味を示したのが、建築家であり多くの家具をデザインしたジャン・プルーヴェだ。

アール・ヌーヴォーのナンシー派を牽引した父の助言もあり、薔薇の棘をよく観察していたプルーヴェ。そして薔薇の棘は進化の末に完璧な姿を持つようになったのだ、と確信したのでしょう。その観察からの着想で、家具などの構造が考えられたのかもしれない。

「薔薇に棘あり」それは自衛をしつつ依存もする、けっこう有用なパラドクスなのかも。清少納言も「をかし」と言っているくらいですから。

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写真・文|猪本典子 デコレーター
90年代に青山IDÉE SHOPの花屋「棘」をプロデュース。花や和菓子、料理などのデコレーション、撮影、執筆を行う。著書に花の写真集「FRESH 」、翻訳本「修道院のレシピ」(共に朝日出版社)、「イロハニ歳事記」、「イノモト和菓子帖」(ともにリトル モア)、「ニッポン弁当」(平凡社)など。


2021.11.10

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