関谷醸造株式会社(愛知県)
インタビュー
関谷醸造の7代目当主・関谷健さん
愛知県北東部に位置する、北設楽郡設楽町。
自治体面積の約9割を山林が占めるこの町で、およそ160年近く酒造りを続けているのが「関谷醸造」です。1864年、庄屋だった本家から分家する形で新たに酒造業の看板を担ぎ始めたことから、酒蔵としての歴史が始まりました。この年は何を隠そう、ちょうど坂本龍馬が命を奪われる寺田屋事件が起こった年です。
近代への転換点である明治維新の僅か4年前ということもあり、激動の時代に新たな商売を始めるのはさぞかし大変だったはずーーそのように訊ねてみれば、「そうですね、結構どさくさ紛れで。多いんですよ、その頃に免許を取った蔵って」と、7代目のご当主である関谷健さんは笑いながら答えてくれました。
戦が立て続いた幕末、多額な出費に苦しんだ徳川幕府。苦肉の策として、酒造株を発行することで税収を増やしたそうです。そうした時代背景に乗じて“どさくさ紛れ”に始まった関谷醸造でしたが、酒造りに向かう姿勢や組織体制はいささかもいい加減なところがありません。関谷醸造では現在、健全な組織体制と「よい酒造り」の二つを両立させるべく、徹底した効率化が図られているのです。
「ある時、新潟から来ている蔵人や杜氏が揃って定年などで来られなくなってしまって。社員で酒を造るのは大手メーカーしかいなかった時代に、うちも社員を雇用し始めました。そうすると今度は、蔵に寝泊まりしてする出稼ぎと違って、家に帰さないといけません。企業として、どうすれば回るか?を考えましたね」。
冬季の大量雇用から通年雇用に切り替えると言うことは、すなわち少人数化を意味します。結果として関谷醸造は機械の導入を図り、「人の手で行わないとよい酒にならない」工程だけを集中的にケアする方法へと変えていきました。
「酒蔵」という言葉の持つ伝統的なイメージに反し、どうやら関谷醸造はあくまでも大胆にしなやかに、時代に適応していく存在であるようです。
オススメのお酒
地元・愛知県でも広く愛されている、関谷醸造の代表銘柄「蓬莱泉(ほうらいせん)」。
今回はその中から、選りすぐりの2品をご紹介していただきました。
蓬莱泉 純米大吟醸 摩訶®
【特長】
大きい、多い、優れているという意味をもつ「摩訶」。
その名の通り、自社で製造する酒米の中からいいロットを原料として選りすぐったという、「蓬莱泉」シリーズの中でも珠玉の逸品です。
精米歩合は30%。いい米をきちんと磨けば綺麗な味わいの酒になるという考え方のもと、
丹念に磨き、ゆっくり発酵させ、酒米「夢山水」の味わいを最大限に引き出しました。
【ペアリングするなら…】
味わいは比較的しっかりしていますが、香りが繊細なので、肉よりはお刺身や焼き魚の方が好相性。
「摩訶」の持つライトな味わいによって軽妙に昇華される魚介料理をお楽しみあれ。
蓬莱泉 吟醸しぼりたて
【特長】
11月の出店時期(※記事後述の「『Bar農!Farming & Brewing 2022』出店情報」章を参照)に搾られる、吟醸仕込みの新酒です。
青りんごのように華やかで心地よい香りと、お米のふくよかさの中に荒々しさとフレッシュを感じさせる味わいが特徴。「間に合えば会場にも持っていきます」(関谷さん)とのことなので、ぜひ11月の出店時期にチェックしてみては?
【ペアリングするなら…】
キレによって口の中がリフレッシュできるので、旨味の濃い煮物やお刺身とも相性抜群。いくらでも食べ、飲み進めてしまいそうなので、秋の夜長のお供に楽しみたい。
「農」が教えてくれたこと
始めたきっかけは、休耕田と外国人客の一言。
山間部を縫うようにして広がる自社田
関谷さんが農業を始めたきっかけは二つありました。
一つは、契約農家を含めた地元の農家が、高齢化や後継問題によって急速に減っていったこと。人の手が入らなくなった耕作放棄地は害虫が発生し、やがては地域農業にも悪影響を及しかねません。また、シカやイノシシといった野生生物が出入りするようになり、周辺の田畑まで荒らしてしまう可能性もあります。
さらにその問題は関谷醸造にとっても、酒造りのためのお米が手に入らなくなることを意味していました。
「僕たちもお米を作ってくれる人たちがいなくてはお酒を製造できないし、どうしたものかなと考えあぐねていました。そうした折、僕が20歳過ぎの頃に高山でお世話になった酒屋さんがある日『ドイツのワインの生産者が来日しているから蔵見学させてよ』って連れてきたんです。そのドイツからのお客さんと話していて、『なぜ米を作らないんだ?』と言われたんですね」
欧州のワイナリーはオリジナルの葡萄畑を持っていることが最低条件。葡萄の栽培とワインの醸造までを一貫して行います。素朴な疑問に思ったドイツ人客は、自身の常識と照らし合わせてこのように問いかけたのでしょう。
もちろん、日本には酒蔵が米作りを行うことができなかった事情があります。国民の主食である米を政府が管理する制度「食糧管理法」(1942年から1995年)や、農地の売却や貸出を規制する「農地法」によって、米の流通や農業への参入に制限がかけられていたからです。とはいえ、海外の方々にはそうした事情など知る由もありません。
「『米を作ってないのになんで醸造家なんだ?』と言われて、身も蓋もありませんでした。その当時には輸出こそ行っていませんでしたが、将来そうした機会が増えた時に、きっと海外の人々はワインの文脈でものを見る。だからこちらも彼らのわかりやすい言語で日本酒を伝えないと、理解してもらえない。そんなふうに考えました」
ドイツ人客のシンプルな問いかけはその後も関谷さんの胸に長い間残り続け、小泉純一郎政権が規制緩和を目的とする「構造改革特区」を設けた際には、すぐに名乗りを挙げたそうです。
このようにして、関谷醸造は、生産と醸造をワンストップで行う酒蔵へと変貌を遂げてゆきました。
山間部の田んぼから生まれた、米作りの最適解。
さて、ドイツ人客との邂逅がもたらした変革から十数年。その後はどうなったのでしょうか?関谷さんのある意味直感的とも言える舵取り(農業への参入)は間違っていなかったようで、「海外の展示会へ行った際や、海外の取引先やお客様に説明する際も、米から作っていると説明する方がやはりスムーズに理解してもらいやすいなと感じましたね。あとは、社員が米作りを手伝うので、米に対する思い入れも変わってきました」とのこと。
とはいえ、山間地を縫うようにして広がる田んぼはおよそ275枚。しかも、1枚当たりの面積が小さく、農作業にもひと苦労する環境です。作業をスムーズに行うため、効率化を余儀なくされた部分も大きいそう。
「コンバインも大型のもので、データを取れるようなものを使って、効率化を図ったりとか。農作業用のドローンを使って、肥料や農薬の散布をしたりとか。少ない人数で回すには、そうするしかないんです」
取材中、眼前に広がる他所の酒蔵の広大な田んぼを見て、“いいなぁ”と呟いていた関谷さん。そんな関谷さんに、もし代々受け継いできた田んぼがこのような田んぼだったら、今とは違った姿になっていたと思いますか?と聞いてみたら、次のような答えが返ってきました。「そうですねえ、もっとのほほんと生きていたかもしれませんね」。違いがあるからこそ、それに応じた知恵が生まれる。その知恵が、やがては個性を形作る。それは農業においても、同じことなのかもしれません。
10年先の未来へ ~ネクストビジョン~
関谷さんが語る10年後のビジョンは、「企業としての存続」。
最近はどの企業でもSDGs(持続可能な開発目標)を掲げ各々の使命に取り組みますが、関谷さんは「SDGsの達成のために企業が持続しなかったら意味がない」と語ります。
「現代の酒蔵は長期間酒造りを行う方向へ向かっていますが、春秋に酒造りを行うには温度管理の設備が必要になってくるし、夜中の作業を軽減するようなこともしないといけない。昔の酒蔵にありがちな“低賃金かつ重労働”ではなく、きちんと労働環境を整え、サステナブルな企業として存続していきたいですね」
企業として、当たり前のことを当たり前に。繰り返し語る関谷さんの目は、10年より先の遠い未来を見据えています。
蔵元からのメッセージ
日本酒の味はどんどん多様化してきています。関谷醸造の造る酒は、割と甘めのものが中心。“辛口スッキリ”が最近のトレンドですが、日本酒を飲む以上は日本酒特有の米の旨味、甘味を味わって飲んでみてほしいですね。
【Info】
ほうらいせん吟醸工房
2004年、豊田市(旧稲武町)に開設した関谷醸造株式会社の酒蔵です。
一般のお客様向けに、酒造り体験やオーダーメイドの酒造りなどを提供しています。
住 所|愛知県豊田市黒田町南水別713番
アクセス|中央道恵那ICより約30分、中央道飯田ICより約1時間
営業時間|平日10時〜18時(休日9時半-18時 年中無休)