株式会社永山本家酒造場(山口県)

インタビュー

永山本家酒造場の5代目・永山貴博さん

 

「今日も2時間、草むしりをしてきたんです」と日に焼けた顔で笑うのは、永山貴博さん。明治21(1888)年の創業以来、山口県宇部市で酒を造り続けている永山本家酒造場の5代目です。永山さんが何より大切にしているのは、初代から受け継いだこの地の米や水を素直な形でお酒に表現すること。

この地は水に恵まれており、「酒蔵があるべき場所」と永山さんは胸を張ります。中国山脈に降った雨は、2億5000年前の地層がある秋吉台のカルスト台地でろ過されます。そのためにこの地の水はミネラル分を含む中硬水になるのだとか。山口県宇部市と同様に、兵庫県の灘や広島県の西条など、酒蔵が集中している地域は、同じように中硬水が出る地域。それは海外でも同様で、シャンパーニュ、ブルゴーニュといったフランスのワインの銘醸地も、ミネラル質豊富な石灰岩があるのが特徴です。

そして、永山本家酒造場の周りは水田地帯。昔から農業用水にも恵まれた土地で、米の栽培も充実しています。

杜氏でもある永山さんがたびたび口にするのが、「テロワール」。ワインやコーヒーなどにおける、その土地の気候、風土、土壌などから生まれた特長をさす言葉です。たとえば永山本家酒造場の近隣の田んぼは、砂地で水はけがよい傾向があります。そこで育てた米は、酒にしたとき、余韻が短い傾向にあるのだとか。そこを特長ととらえ、すっと抜けていく味わいを酸味でサポートし、輪郭をはっきりとさせて魅力にしていく。「最も大切なのは、素材への信頼。そこをなくして酒造りを始めてはいけません」。そして、永山さんは「私たち酒蔵は、一言で言うなら農産物加工業者」と強調します。農産物があってこその業態であり、農家へのリスペクトがあったうえでの仕事なのです。

 

オススメのお酒

 

特別純米 貴

【特長】

代表銘柄「貴」のスタンダードモデル。定番ながらも手間暇をかけて醸し、奇をてらうよりも飲み疲れず、楽しむ人を癒すような味わいを目指して作られています。コンセプトは、“人は最後、オリジナルに戻る”。「ポテトチップスやカップ麺も、思わずリピートしてしまうのは『飽きない』スタンダードな味のはず。そういった存在になれれば」と永山さん。

 

【ペアリングするなら…】

葉物野菜や茄子を使った煮びたしなど、素朴な味わいを引き立てます。青魚のほか、おでんや生ガキにもマッチするそう。永山さんの一番のおすすめは、アジの刺身との組み合わせです。

 

ドメーヌ 貴

【特長】

フランスでは、その土地で栽培したぶどうでワインを醸造するワイン蔵を「ドメーヌ」と呼びます。一方で、農産物を仕入れ、加工だけを行う業者を「ネゴシアン」として明確に区別しています。「ドメーヌ 貴」はその名の通り、蔵から半径5キロメートル以内の田んぼで、蔵人自ら育て上げた山田錦100%で造ったお酒。

永山さんは蔵を継ぐ前に、2年間の海外留学をした経験があります。世界中の人々に愛されるワイナリーも巡り、そこで行われていることが極めて地道なことに驚いたと言います。「畑仕事を中心に、日々の営みはどこまでも地域に根差したものだけれど、製品のよさは国境を越えて世界中のファンへと伝わっていく。私の好きな言葉に、“Think Globally、Act Locally”があります。世界規模で考え、地域で行動せよ。まさにそれを体現していました」と永山さん。永山さん自身も草刈りをしたり、田んぼを耕したり、蔵で酒造りにいそしんだりと、日々の作業を大切にしています。そんな姿勢がもっともビビッドに反映されたのが、この「ドメーヌ 貴」です。

 

【ペアリングするなら…】

酸味があるので味がしっかりとしたものと相性がよく、ローストビーフ豚しゃぶなどの肉料理にマッチします。10度から室温になじませた15度ぐらいがベスト。ワイングラスで香りの広がりを楽しむのもおすすめです。

 

「農」が教えてくれたこと

「ドメーヌ」としての酒蔵に

 

永山さんが酒米作りに取り組み始めたのは、家督を継いだ翌年の2002年。きっかけは海外留学でテロワールを大切にするワイン蔵を間近に見たことに加え、帰国後の学びでした。醸造を学ぶために通った国税庁醸造研究所(現・独立行政法人酒類総合研究所)で、「原料研究室」に配属。そこでお米や葡萄など、日本酒やワインの原料について学ぶうち、その大切さを改めて理解したと言います。

そこで、土地に根差して作物を育て、アルコールを醸す「ドメーヌ」としての酒蔵を目指そうと決意。酒米指導で知られる永谷正治さんに学びながら、当初は父親名義の0.8ヘクタールの田んぼから米作りを始めました。徐々に規模が広がり、現在、田んぼは4.0ヘクタールまで広がっています。

 

自力でできることを増やし、持続可能なスタイルを模索

永山さんが酒蔵を継ぎ、農業を始めて直面したのが、農家と杜氏、両方の高齢化問題でした。「先代の時代は、酒造りのシーズンになると杜氏の里から職人さんがやってきたもの。そのまま約4か月間、蔵で寝泊まりして酒を造り続けました。しかし、高齢化の波のなか、この形はいずれ続かなくなると思ったんです」。そこで、永山さんは自らが杜氏になり、酒造りも農業も社員で行う形に切り替えました。地域の農業従事者の中で、蔵のスタッフは圧倒的に若く、新たな風を吹き込んでいます。

地域農業を維持するためには、酒蔵も含め、米に関わるさまざまな立場の人たちがコミットしなければならない。永山さんや酒蔵の社員たちが、米の等級を検査できる農産物検査員の資格を取得しているのはそんな問題意識からです。

 

10年先の未来へ ~ネクストビジョン~

新米で造った酒は、年に1回地域の人にふるまっている

 

子ども時代は、蔵の未来に夢を持てなかったと永山さんは振り返ります。日本酒市場は先細る一方で、一部の蔵以外は輸出を考えたこともない、そんな閉塞感を幼心に感じていたからです。

しかし、いまや永山本家酒造場の酒は11か国に輸出され、ワインをはじめ、世界の醸造家とリスペクトし合いながらつながっています。永山さんは蔵の仕事を、地元の美しい田園風景を守り、酒蔵という遺産を後世に引き継ぐことができ、かつ、グローバルな夢を語れる仕事だととらえています。

「酒蔵を営むことは、本来、農業などの第一次産業、農産加工業者としての第二次産業、そして飲食店などの第三次産業を貫通できる仕事のはず。ようやくそのあるべき姿に近づきつつあります」と目を輝かせる永山さん。そのために、地道にコツコツと日々の酒造りと農作業を続けています。

 

蔵元からのメッセージ

自社水田での田植え風景

 

「自分の地元のお酒だから飲んでみよう」「旅行先の地酒だから試してみよう」。そんなちょっとしたきっかけを大切に、日本酒に触れてほしいと永山さんは話します。「そうすれば、機械で大量生産しているものではなく、いろいろなことを考えながら、人の手で造られていると実感できるはずですから」。

日本酒がみんな同じように見えるのだとしたら、きっと無関心なだけ。ディープな日本酒好きにならなくても、興味を持ってほしいと永山さんは願っています。「和食という日本が誇る文化があるにも関わらず、ドリンクにこだわらないのだとしたら、つまらないじゃないですか。知ろうという想いがあれば、日本酒はもっとおもしろいものになるはずです」。

 

【Info】

永山本家酒造場

1888年(明治21年)に山口県宇部市二俣瀬で創業。2001年に蔵を継いだ5代目の永山貴博さんは酒造りの技術を学び、自らが杜氏を務めています。一文字の名前が印象的な代表銘柄の「貴」は、2003年に雑誌「dancyu」で「地方の隠れた名酒部門1位」を獲得しています。要予約で醸造場見学もでき、日・祝はテイスティングスペースも利用できます。

住  所|山口県宇部市大字車地138
アクセス|JR新山口駅から車で約20分
営業時間|9時~17時(土・日・祝は休業)