剣菱酒造株式会社(兵庫県)

インタビュー

剣菱酒造・代表取締役社長の白樫政孝さん

 

戦国時代の1505年に創業した剣菱酒造。そのお酒は江戸時代に赤穂浪士が討ち入り前に飲んだなどの逸話があるほど、長い歴史の中で多くの人に飲みつがれてきました。剣菱酒造の代表取締役社長・白樫政孝さんは、自社を「日本酒業界の古典部門」とたとえます。「止まった時計でいろ」を家訓に、江戸末期から変わらぬ味を伝えるため、昔ながらの製法を守り続けています。そのために、木木製の道具を作る職人の後継者危機に瀕すれば、その職人を社員にし社内で後継者を育て、樽に巻く太い藁縄のメーカーが機械の故障で会社をたためば、機械を引き取り、修理して自社で生産するなど、尽力を欠かしません。

醸す酒の味わいは、複雑で奥深いもの。その味は、剣菱酒造が現在の京阪神地方で醸造し、江戸で売られた「下り(くだり)酒」を造っていたことに由来します。醸した土地で消費される地酒と違い、「下り酒」はどんな料理と合わせて飲まれるか予測がつきません。ましてや江戸には参勤交代で全国の人が集まり、さまざまな料理が持ち込まれていました。そこで求められるのは、「どんな料理に合わせても70点が出せる」お酒。そのため、剣菱酒造の酒は自然と複雑な味わいになりました。料理とお酒のペアリングは、似ているものを合わせるか、逆に料理に足りないものをお酒で補うか。お酒の味が複雑になればなるほど、マッチする料理が増えていくのです。

剣菱ならではの複雑で奥深い味わいの決め手となるのが、貯蔵とブレンド。新酒で勝負する酒蔵が多い昨今ですが、剣菱酒造の醸造方法はその真逆です。仕込みの配合も、もろみの作り方も、いずれも脈々と受け継がれてきたもの。現在の一般的な醸造法とは大きく異なります。

 

オススメのお酒

 

黒松剣菱

【特長】

濃厚な香りと旨味があり、「ゆるりゆるりといつまでも飲んでしまうお酒」と白樫さんが評する「黒松剣菱」。

おすすめの飲み方はお燗です。特筆すべきは、この「黒松剣菱」の1合瓶は、フタを取れば電子レンジでそのまま温められる仕様になっていること。瓶の中でお酒が対流するように設計されているので、温度ムラはできません。かかる時間は1分で、瓶は食洗機で洗って繰り返し使えます。伝統の味を一番美味しい状態で、気軽に楽しめる工夫が凝らされているのです。

 

【ペアリングするなら……】

豊かな香りがありつつも料理の邪魔はせず、醤油、砂糖、みりんを使った料理ならなんでも合わせられる万能選手です。肉じゃが、魚の煮つけ、焼き鳥などと楽しんで。

 

瑞穂

【特長】

2~8年熟成させた貯蔵酒をブレンドし、円熟の味わいを出したお酒です。きのこ系、ハチミツ系、カラメル系の香りが立ち、コンソメスープのような深みもあり……。剣菱酒造が培ってきた、複雑な味わいをさらに追求した銘柄です。

剣菱酒造のお酒は、酢を使うことが多い江戸の料理にも合うように設計されたもの。そのため、後口に酸味が残りやすい純米酒はあまり積極的に造ってきませんでした。しかし、この「瑞穂」では“純米酒系”に挑戦。あくまでも後口に酸味を残さないことにこだわりつつ、ブレンダーが3年悩んで造り上げました。

「瑞穂」は山田錦と米麹、水だけで造られているお酒。“純米酒系”と呼ばれるのは、「純米酒」とラベルに記載するには、原料となる酒米の精米歩合を記載する必要があるためです。剣菱酒造では毎年、米の状態を見て精米歩合を変えているため、精米歩合をラベルに明記することができず、この呼び方をしています。“肩書”よりも“味”を重視する、酒蔵のポリシーが感じられる呼称です。

 

【ペアリングするなら……】

ブリなどを使った脂が乗った魚料理や、牛肉、豚肉を使った料理とよく合います。お酒自体にきのこのような香りがあるため、秋に美味しいきのこ類といただけば風味倍増。ブリやカマンベールのようなソフト系のチーズとの組み合わせの妙も楽しいものです。

 

「農」が教えてくれたこと

田んぼを守ることが、地域の環境保全にもつながる

 

危機感からのスタート

剣菱酒造が農業に乗り出したのは、2006年。契約農家を訪れるたびに感じる、少子高齢化がきっかけでした。このままでは農業が次世代に継承されず、休耕田が増え、ひいては地域の環境が変わってしまい、せっかくよい米が収穫できている田んぼがどんどんなくなっていく。白樫さんはそんな危機感を感じていたと言います。

しかし、代々受け継ぎ、大切に守ってきた田んぼを知らない人に貸したり、売ったりすることには抵抗がある人が多いもの。そこで剣菱酒造は、「当蔵でいったん田んぼをお預かりして作付をします。後継者が現れた場合、お返しします」と申し出ました。農家には地代が入り、地域の環境は崩れず、酒蔵は引き続きよい米を収穫することができて、皆にメリットがあるというわけです。

田んぼを1枚借りるところから始めた「農」でしたが、会社には農家出身者はほとんどおらず、最初は手探りだったと言います。昔から付き合いのある農家の方々に教わりながら2反(約1980平米)の田んぼからスタートし、現在は4町(約3900平米)まで広がっています。

 

目的はロールモデルを作ること

剣菱酒造が「農」をやる理由は、実証実験だと言います。目標は、「一般の人がお米農家になり、まずは年収500万円を得られる」モデルケースの樹立です。そのためには、いくらぐらいの設備投資をして、どれぐらいの田んぼの面積であれば成立するのかを、今、試しているのです。というのも、白樫さんは氷河期世代。いったんレールを外れると普通の生活が難しくなってしまう人々が多いなか、農業や酒造りを通じ、同世代の人たちが40代、50代になってもやり直せる仕組みが作れないかと考えたのです。「農業の中でも、米は比較的参入がやさしい分野です。収穫がゼロになるほどの大失敗はめったにありません。どんな学歴の人も挑戦できて、40代でも農家の中では若手。モデルを作ることができれば、米作りはキャリアの立て直しに理想的だと考えています」と白樫さん。剣菱酒造の「農」は、あくまで地域保全と次世代に向けた新たなロールモデルの提示が目的です。

 

「手段を目的にしない」を大切に

農業に携わるなかで大切にしていることは、手段を目的化しないこと。たとえば化学肥料を減らして稲を栽培するとき、その目的はあくまで環境への負荷軽減にあります。「化学肥料を減らすこと」自体を目的にしてしまうと、たとえば硫黄肥料を過剰に使い、環境のバランスを崩してしまうといった事態も考えられます。自然由来のものであっても、その土地にないものを入れればやはり環境への負荷は大きなものとなるからです。「無農薬栽培をしたいからといって、自然由来の毒物を使えば、やはり環境や人体への負荷があり、本末転倒ですよね」と白樫さんは他にも例を挙げます。「農」の担い手としてのモラルを守りながら、地域の人々の協力のもと、歩み続けています。

 

10年先の未来へ ~ネクストビジョン~

古くから伝わる製法を守った酒造り

 

剣菱酒造のネクストビジョンは、「10年後も変わらないでいること」。その実現の難しさを、白樫さんは「海の上で同じ場所をただよっているイメージ」と説明します。潮や風の流れがあるなかで、何もしないと流されてしまいます。自分の居場所をしっかりと確かめながら、ときにはその流れに抗い、あるときには流れに沿って漕いでいく、状況判断と舵取りがあってはじめて同じ場所にとどまれるのです。

そして、「変わらない」ために絶対に必要なことは、同じ製法で造り続けること。100年前のレシピを再現したとしても、「100年前も同じ味だったのか」は実際に食べたことがある人にしかわかりません。「造り方が昔と同じでも、味が違っていたら、それこそ手段の目的化になってしまう」と白樫さんは話します。この点も、「農」で大切にしていることと共通です。

 

酒蔵からのメッセージ

お米は木製の甑(こしき)で蒸し上げる

 

「料理とともに、お酒をゆっくりと楽しんでいただきたい」。

白樫さんのメッセージはその一点です。お酒により料理がいつもの何倍にも美味しく感じられ、美味しいものを食べると自然と笑顔になり、会話も弾むもの。そうすると、人の輪はどんどん広がっていきます。「ハーバード大学が行っている約80年にわたる追跡調査では、人の幸せを決めるのは良好な人間関係という結果が出ています。お酒はコミュニティを広げるには非常に便利なツール。それをスムーズに使っていただければ」と白樫さん。今も昔も、幸福は人の輪が生み出すもの。その輪を広げるために、剣菱酒造は江戸時代から変わらぬ酒を醸し続けます。

 

【Info】

剣菱酒造

1505年に伊丹の地で「稲寺屋」として創業し、やがて灘へ移転。8代将軍・徳川吉宗の御膳酒に指定されるなど、剣菱酒造は日本の歴史とともに歩んできました。「剣菱の味を変えない」ことをゴールとし、昔ながらの手作業にこだわっています。旨味が抜けないように調整された黄色く色づいたお酒は、濃厚な味わいが魅力です。

住  所|神戸市東灘区御影本町3-12-5
アクセス|阪神電車御影駅から徒歩約10分
※蔵見学や販売はありません